1.08.2013

クレモナはポーのたまもの




イタリア、ポー川のほとりで撮影。






 アドリア海はヴェネチアまで流れでる河川は北イタリアの貿易をささえてきました。クレモナの中心街から現在は自転車で10分弱、昔は町のすぐそばを流れていたこともあったようです。町に必要な物は船を使って全て運び込まれていたそうです。
 ローマ時代以前より起こり10世紀ごろから徐々に拡大を見せたクレモナは商業と農業の町でした。ダッダ川、オーリオ川そしてポー川とこの平野の他の町にもみられる水に恵まれてこその発展です。
 
 ポーの中世からの大きな地形の変化は11世紀ごろにあったと記録が残っています。その後15世紀までには大きな変化はなく15世紀半ばにはポーに橋を渡す計画もあったそうです。ポー川を挟んだ反対側にまで町は広がり特定の住宅街や家畜の飼育等に使われてもいました。現在は2つの橋がかかっています。
 



Domenico Capra 1629





 ところが16世紀になると水位が上がり、17世紀(地図1)には当時あったクレモナの外壁にまで水がかかっていたらしく、水の浸食の修繕は大掛かりなプロジェクトだったそうです。この頃になると川の幅がまし、中州等も形を変え浮上したりと市街地の外の様子は大きくかわりました。








1726
Pietro Martire Aglio 1771













 


 1700年代前半(地図2)まではCanale vecchio(3つにわかれた一番町に近い流れ)がまだ町のすぐ側を流れていましたが、後半になると土手等を作る工事も施し川が遠のいて見えるようになります。(地図3)
 



1820



 1800年代に入ると水量はだいぶ減り地図等を見ても町の近くのを通っていた筋は完全に陸になっていくのがみてとれます。(地図4)
 町の南西にある小川は町の用水路クレモネッラが合流するモルバスコです。現在でも町のはずれで見ることができます。




 最後に現在はもうなくなってしまった町からポー川へ下る出入り口”ポルタ・ポー”の写真です。写真のものは1825年に建造されたものですが、街全体が城壁に囲まれていたクレモナの川からの入り口として重要な門でした。残念ながら1908年には取り壊されてしまったそうです。


 

 ヴァイオリン制作に必要だったスプルースと楓もこの川によりパダーナ平原の小さな町までやってきました。
アマティ、ストラディヴァリ、グァルネリの工房はポルタ・ポーより650mほど歩いた職人の集まる建物のなかにありました。

流木の上にあるのは小さな気持ちの小箱です。