12.29.2015

いざコテキーノ!!

Auguri!!

 クリスマスも過ぎ、日本の街はお正月の雰囲気に変わった頃でしょうか。

 今年のhaja&Chi工房では隣町に住む友人より町内のお肉屋さんによる良質な手作り”Cotechino”コテキーノを頂いたので早速調理してみました。
コテキーノ…豚の腸内に豚の皮、色んな部位をミンチにしたものを詰め込んだいわゆるサラミ状のものです。


こちらがコテキーノゆでる前です!

 この辺りですと“cotechino con lenticchie”『コテキーノとレンズ豆』と一つの料理名で呼ばれることが多く、レンズ豆の煮物と一緒に食べる習慣があります。
材料を見ると『豚の…豚のと何とヘヴィーな…』と思いますが、これだけをお腹いっぱい食べるのではなく、一回の食事にコテキーノは一切れなど加減して食べます。

 クレモナ周辺、北部イタリアではこの料理をお正月に食べる習慣があります。
もちろん、家族が勢揃いするクリスマスの時に一足先に食べる人も。
寒さの厳しい北イタリアには欠かせない代表的な肉料理なんですね。

 コテキーノはサイズにもよりますが水を張ったお鍋で約3~4時間、コトコト弱火でゆっくり煮ます。
いかにもイタリアマンマが用意しそうな長期戦料理です。
付け合わせのレンズ豆の煮物はにんじん、タマネギ、セロリのみじん切り、ニンニク、トマトにローズマリーを加え水分がなくなるまでこちらもゆっくり煮ます。


刻んだ野菜と見ずに浸したレンズ豆

 我が家ではこれに先日トレントにてプリモンより教えてもらった茹でキャベツ、さらにクリスマスカラーの緑と赤を食卓に添えるためプチトマトの低温オーブン焼きとゆでブロッコリーを用意しました。くるみレーズンパンとチョコバナナケーキは自家製です。


ゆであがったコテキーノとレンズ豆&ゆでキャベツ
火加減がちょうど良かったようで、フワフワのコテキーノを堪能…。
レンズ豆もローズマリーが効いていて香りが強く、イタリアの素朴な味でした。

サラミとチーズの町クレモナ。
冬に訪れる機会のある方はぜひコテキーノに挑戦してみてください♪


☆今年のクリスマスランチ☆


清水ちひろ

12.23.2015

交響組曲ドラゴンクエスト



 日本が生み出した名作のRPGです。
シリーズ最高傑作とされる”Ⅲ”は小生が初等科の1年だった頃。


堀井雄二 鳥山明 すぎやまこういち
素晴らしいアーティストが生み出した作品


 フィールドは地球の世界地図。ユーラシア大陸、アメリカ、アフリカそして日本まで・・世界を旅する物語です。
 この作品全般に使われたのがすぎやまこういちのバロック、古典風のBGM。
8bitながら全編でチェンバロと弦楽器の音がきこえてくるようでした。

 小生が人生で初めて手にしたCD、”DQ4”のオーケストラヴァージョンはイタリアにきた今でも大事にしています。いつの日か、ヨーロピアンが集まったフェスタでこのCDをながしたところ。。”綺麗ね!”と絶句。作曲家は誰?何世紀の人??とまさかゲーム音楽とは思ってなかった様子でした。

 そんな、思い出の音楽を25年近くたった今、小生の技術を活かして形にしました。

今でも覚えているあのCM。

”?!! スライムたちが・・・”です。





 モンスターのなかで最高の知名度と愛くるしさ、ふくよかなその存在感。

キングスライム。





 楽器はヴァイオリン。最高の南チロルのイタリア・スプルースとクロアチアの重くない楓、そしてイタリアの古典オイルニス。ストラディヴァリの赤と言われる自然顔料”ラッカ”を使用し工芸品としても流通しているヴァイオリンを超えるものに仕上げました。






 デザインはAntonio Stradivari 1726 "Chanot Chardon"。あのJoshua Bellが若き日に弾いていたヴァイオリンです。
 Conerless violinとしても有名なこのヴァイオリンはヴィオリーノ・ダモーレが姿を変えたもの。




Stradivariオリジナルの"Chanot Chardon 1726c"
シカゴの老舗
Bein&Fushiにて



 そして今年の春、よい出会いがありました。

日本センチュリーのヴァイオリニスト高橋宗久さんにドラクエコンサートにて楽器の紹介と演奏をしていただきました。もちろん指揮は”すぎやまこういち”先生です。


左:すぎやまこういちさん 右:高橋宗久さん


永石勇人

12.21.2015

続々々・クレモナからトレントに〜住み込みヴァイオリン制作〜

 haja&Chiの”Chihiro”がトレントを訪ねて来た午後を利用して、ボルツァーノの街へいきました。



オシャレな目抜き通り
アレンジのきいたスタイルでおもちゃのような雰囲気



 ボルツァーノへの目的はもちろんアイスマンことオッツィーをみに行く事。



アイスマンの想像復元
コレステロール値がたかかったらしい・・
今と同じ・・


https://ja.wikipedia.org/wiki/アイスマン

 冷凍付けになったミイラは皮まで見える程綺麗に保存されていました。
 彼のために作られたそのミュージアムは生きていた時には想像もしていなかったであろうガラスケースと冷蔵庫の彼専用の家。。衣類や道具など所持品が一点ごとにしっかりとならべてありました。。本当に凄い。。5000年前の人です。




最も古いレギンス
ファッションは5000年前と変わらず・・・

Otziの仕事ぶり。刃物の跡が残る弓


 ボルツァーノはイタリアではクリスマス市でもちょっと知れた町、、この時期すでにお店が立ち並んでいました。
 人目をひくコップワインの飲み処。Vin Brule'です。



出店のVin Brule
クリスマス市にて

 ホット赤ワインに火をいれてアルコールをとばし、砂糖とカンネッラ、キョード・ディ・ガロッファノ などをいれる冬のワインの飲み方です。
 一杯、2ユーロからとアペにしてもリーズナブル。ワラワラ集まってはみんなで楽しんでいました。



名物のStrudel di mela(アップルパイ)
街角どこにでもありふれている
これは地元の人オススメの老舗
さっぱりした甘みで食べやすい


 ボルツァーノはすでにオーストリア語ににた方言をしゃべる山奥。。そして現在はヴァイオリンの表板の木はこの地区の山々の間でとられています。
 むしろ西洋楽器のほとんどは振動板にスプルースを使うので、今となっては神聖な場所になるのかもしれません。
 ヴァイオリンの木はクリスマスツリーですので、この地域ではどこにでも生えています・・が、どの山のどのゾーン木を使うかがかなり重要になってきます。山の人々同士でも折々、ヴァイオリン用の木の話題がのぼるそうです。マニアックなはなしですね。


永石はやと

12.18.2015

黒いヴァイオリン その3


 黒檀で作った黒いヴァイオリンの製作です。

 1677年のストラディヴァリ”sunrise”よりストラド初期の細身のモデルです。あまりにも有名ですの説明もいらないですね。
 反してこれは真っ黒にて、さしずめ”sun set”とでも呼べましょうか。

 オリジナルの横板とヘッドの装飾は溝にstuccoと呼ばれるパテが埋めてありまして、最近の研究にて黒く染めた木の粉をのりと一緒にまぜたものを使っていたことがわかっています。表板と裏板の白い部分は象牙又は骨です。

 
 さて、今回は黒檀に生えるラインという事であれこれ考えた結果、アルミニウムの粉を使用する事にいたしました。銀は酸化して黒くなってしまうので残念ながら使えません。

 材料となる黒檀は一つの大きな板を探し出してきまして、全てのパーツを同じ木からとれるようにしました。いまでもヴァイオリンもう1本分がとってあります。



fingerboard以外は全て同じ縞黒檀
マダガスカルの材です



さて、デザインの準備。
もちろんコピペではなく、描き直して整えます。




トレース用に切り抜かれる
ストラド工房でも紙上のドットによる写しでほぼ方法は一緒



横板は、杢がないために普通の楓と同じ厚みで曲げる事ができました。



黒檀の板の厚み出し。。一枚終わるとカンナを研ぎ直し。


永石勇人


 

12.14.2015

続々・クレモナからトレントに〜住み込みヴァイオリン制作〜




 サンタ・マッセンツァ湖と近くの集落パデルニョーネにいってきました。
たまの休憩でクリスマスのワインを仕入れに行くついでに車に便乗させてもらいました。



 この湖はトレントの山々に囲まれた地域でありながらガルダ湖から上がる温かい空気のおかげで地中海式の農業をしています。戦前戦後はレモンなどの柑橘類の栽培もしていたそうです。輸送がまだ困難だった時代に大変重宝していたらしく、山岳にいながら地元の人はオリーブオイルやレモンを口にしていたそうです。



クレモナにない太陽でひなたぼっこ
写りませんが清々しい風がふいています


 不思議な事に道を進んで行くとモミやカラマツなどの生える一帯から一変してオリーブやイトスギの生える谷に入ります。小さい湖なのですが、冬でもほのかに温かく風がいつでもぬけています。



度数の少し高めの白
濃厚なので1杯でも飲みごたえあり


 この気候を利用したワイン作りが盛んで、Vin santo(ヴィンサント)まで作っています。
ヴィンサントはヴィーノ・パッシートの一つで、言うなれば干し葡萄のワインで甘みが増したリキュール感覚のワインです。とれる量が少ないためボトルも小さく色も琥珀色のデザート酒です。




昔はドイツ、オーストリアからガルダ湖に向かう道がここだけだったようで30年近くあると言う老舗。メニューもこの主人も30年間変わっていないとのこと・・
(注:左が主人、右がoffのプリモン)




 もちろんワインは赤白、最近イタリアでも定着してきたロゼ、そして主力のグラッパの蒸留とレパートリーは豊富です。


グラッパに定評のある蔵、CASIMIROの主人とルカ
トレントの人がどんなのを好むのか意見をだしあってました



 近年、イタリアも毎年異常気象続き・・東北イタリアのワインはおいしいです。技術や知識も蓄積されこれからさらに美味しくなることでしょう。
 トレントの町でもこの日は、トレント・ドックというシャンパン種のワインをいただきました。これまた美味ですね。

 そしてここの凄いのが景色からは想像もつかない大規模な水力発電。山の地下に築かれた発電所は普段は見れません。原発を使わないイタリアはこうした発電所が随所に配置してあります。





hajato Nagaishi (https://www.facebook.com/hajaandchi/)

12.11.2015

続・クレモナからトレントに〜住み込みヴァイオリン制作〜

 トレント生活は続きます。

 工房は8時30分よりスタートの5時30分終わり。昼休みは1時間ですが、残業は自由。

 毎朝、スタートまでには工房をきっちり整えておかないとなりません。身支度と工房の掃除。さらに朝食まですませます。

 近所に3つBARがあり大変お世話になりました。中でも老人ホームの向かいのBARのコーヒーはとても美味しく、ルンゴでオーダーしても濃厚なイタリアン・エスプレッソ。もちろんクロワッサンは近所のパスティッチェリアからの毎朝配達される焼きたてにてガッカリすることはありませんでした。



イタリアには他の町にもメーカーがいます
今のクレモナだけが後世に評価されるとは限らない


 工房内では作業に入ると夢中のルカ・プリモン。チェロの隆起を作っています。慣れた手つきで表板を削っています。作業中は部屋には入りにくいもの・・声をかける時もタイミングを見計らってのシャッターです。

 
OFFの時とは真逆で、堪能なイタリア語も話さずに集中・・


 工房で修行をしているウンバーさん。クレモナの学校出身でトレントに住んで通っているとのこと。。初チェロを始めていた様子です。

 小生の作業は荒削りです、慣れた作業ですのでこれは半日でおわります。



内側の荒けずり
朝から晩まで1年中楽器を作っています
この作業は手慣れたものです

12.05.2015

クレモナからトレントに〜住み込みヴァイオリン制作〜


 霧も濃くなるイタリア、クレモナですが11月より合宿をしています。
 ミラノの学生時代にお世話になったルカ・プリモンと10年ぶりに作業をします。
 ヴァイオリンをつくります。もちろん彼のコンセプトをベースに一本仕上げます。

ヴァイオリンの各材料、工具、
生活用品をもっての移動


 2015年、春の予定でした。しかし小生もコンクールの楽器を仕上げるために、夏はやはり時間が合わずこの冬までずれ込んでしまいました。

 楽器作りには答えがないためか自然と疑問がわいてきます。方向も様々です。
 学校時代に習ったことが今も通用するのか、勘違いして呑み込んでいた事、またルカがこの10年何を見てきたのか・・さまざまなことを確かめにきました。

 完全な住み込みです。工房は広めですのでベッドも用意してもらいました。


夜には作業台をずらしてベッドの用意


 朝から夜までフルタイムのヴァイオリンづくりです。


幸運な事に、この時期トレントの町は毎日快晴です。環境の良い中、また一つ腕に磨きをかけたいと思っています。



永石勇人

11.21.2015

バロックヴァイオリン 04 指板

誰かがいった。。
楽器は軽い方がいい・・・

 最近の研究でもオールドイタリアの木材は密度が低いと。


 しかし、いつからでしょうかヴァイオリンにアゴあてをつけて。。身体をこわした巨匠が肩当てを開発して。。鉄弦になったためにアジャスターをつけて。。。巻き線で指板が凹むために削れるように指板を全部黒檀にかえて・・

 ヴァイオリンは歴史的に一度も軽くなったことなどありません。
そう、誕生したときが一番かるかったのです。
もちろん音がちがいます。音も軽くなります。明るくなります。

 バロック後期までの指板は比較的短く、目安として弦長の3分2から4分3ぐらいです。
  そして指板自体かなり軽いです。



メディチ家の絵画 当時としては長めの指板
描かれた年代からアマティのヴァイオリンの可能性も・・

 もとの指板はどこに?といいますと19世紀に残っていたオリジナルの指板ですら交換されてしまいました。
 今はどれも各国の博物館でのみみることができます。

 
あらたに作ったヴァイオリンの指板
2mm厚の黒檀が熱で曲げられて接着される

 当時から使用頻度の少なかった、テノール・ヴィオラ、ポシェット、5弦チェロ、ヴィオリーノ・ピッコロ、装飾楽器にはオリジナルの指板がそのまま残っていることも多く大変貴重な資料です。300年以上前の木工製品ですから本当に珍しいものです。


 
アマティの2代目。Antonius&Hieronymus Amatiのオリジナル指板


 作り方は色々なパターンがありました。クレモナのなかだけでも年代、楽器のオーダー元?によって作り分けていたようです。
 とにかく中を柳、フルーツの木で作るのが一般的で今の指板に比べて30%以上かるくなります。楽器の重心がかなり手前にくるので持ってみると予想以上に軽く感じるはずです。


小生が気に入っているスタイル
側面にメイプルを張り合わせたスプルースに黒檀を貼付ける。
4つの木からなる指板。軽くそして、意外に強い。

永石勇人

11.15.2015

クレモナのサント・オモボノ教会

 イタリアの各都市にはそれぞれゆかりの聖人(イタリア語で”SANTO”サント)がいます。

 有名どころはローマのサン・ピエトロとサン・パオロ、ベネツィアのサン・マルコ、ミラノのサンタンブロージョ…。
それぞれサントの日が定められ、各地でその日は休日扱いです。

こちらは普段の教会の様子。鉄格子で扉が閉ざされています。

 クレモナの聖人の名はサント・オモボノ。11月13日がオモボノの日です。この日は学校も仕事もお休みで、普段閉めているオモボノ教会が一般公開されミサが行われます。
昼のミサの模様

 オモボノは中世12世紀クレモナで盛んだった職業の一つ羊毛商人で既婚者、子供も二人生まれたそうです。仕事は順調だったらしくかなり財をなしたとか…。
彼自身は何も書き残したり言い残したりしていないのですが、その財産を当時貧しかった人や不幸のあった家庭、幼い子供の慈善事業のために使います。
その功績をたたえて死後わずか2年未満のうち、カトリック教会より一般市民として初めて列聖されました。
今ではクレモナの街だけでなく、『商人』『仕立て屋』の守護聖人としてまつられています。
12世紀には街の聖人だったオモボノさん…その後活躍したアマティやストラドなども彼のためのミサに参列したり、ご遺体に花を添えたりしたのでしょうか…。現在ご遺体はクレモナのドゥオーモ主祭壇地下に眠っています。
 私はお昼のミサの時間にオモボノ教会に行ったのですが信者さんが老若男女来ていました。普段はお隣のサンタゴスティーノ教会でミサの手伝いをしているおじいさん&聖歌隊、高校生はクリスマスくじの販売のお手伝い、奥様達は持ち寄りの品でバザー開催と地元の人の和でオモボノの日を大切に過ごしているのが伝わります。
主祭壇。ミサ後は聖歌隊やミサの手伝いをした人達に挨拶をする信者さんたち。
教会脇の小さな回廊ではシニョーラ達によるバザーが開催されます

教会自体は小ぶりですが、ファサード前に広がる石畳はとても可愛らしいです。元々は聖人アエギディウスをまつった教会でした。起源は7世紀とのことですからかなり土台は古い教会です。数年前に外壁の修復作業が行われ外観はきれいになったのですが内部のフレスコ画は痛みも目立ち、天井にひびもたくさん入っています。
天井のフレスコ画。

 はやく内部も修復されますように…と願いつつ回ってきたお賽銭袋にほんの気持ち入れました。



清水ちひろ

11.12.2015

耳をすませば

あのジブリの名作です。

 クレモナは歴史的には農業がささえたまち。少しのセメント、鉄鋼業が近代の産業でした。いまでもトウモロコシ畑や豚、牛が有名ですが町のイメージおこしとしてヴァイオリンが取り上げられたわけです。
ストラディヴァリの工房のあった町。
そして珍しくジブリに名前が出てくる実在する町です。


ファンが作った観光マップ。
地球屋のかたちのポストが横にあります。

 かたや映画の舞台はといいますと小生も最近知ったのですが京王線の聖蹟桜ヶ丘なんだとか・・・というわけで行ってみました。







 駅ビルも大きくさすが京王線沿い。年齢層も若い人が目立ちます。

 桜ヶ丘は高級住宅地。奇抜な形やガラス張りのデザイナーズハウスが立ち並んでいました。





 街全体はおちついたのんびりした雰囲気。映画の中でもよく坂を上り下りしているイメージがありますがまさに坂だらけ、移動に一苦労です。。

川沿い 
犬の散歩、カップルで散歩をする人がちらほら・・ 左手上に耳丘。

 夕暮れ時は買い物や帰宅途中の人々がわらわらと・・。都心とはひと味違う、まさに映画のオープニング、エンディングそのままです。


今では、フェンスが置かれて無茶ができないように・・右手奥に新宿のビル

 一番有名なプロポーズの場所。桜ヶ丘で新宿のビル群が見えるのは一カ所だけだそうです。
 


 そして杉村くんが告白した神社。本当にそのまんま・・・平日でも何組もの恋人がおとずれていました。

ふられた場所なのに、なぜか縁結びな感じに?


 そして憧れの地球屋。邪宗門にはたどり着けませんでしたが、桜ヶ丘の奥にロータリーがありました。思ったよりあっさりしている感じです。

おじいさんのいる骨董屋。。今の東京にあるのでしょうか。


 今回桜ヶ丘を訪れるにあたって何回も映画をみて、昔のイメージとちがって見えるのに驚かされます。
受け取る側がかわっていってしまうのですね。

 劇中で聖司くんのキザな言葉、おじいさんの語りより的をいたセリフ。
ジブリが伝えたかったメッセージがここに!・・と今更ながら気づきました。

”でもな、人と違う生き方はそれなりにしんどいぞ。” (お父さん)

さらに、

雫『クレモーナはどうだった?』

聖司『見ると聞くとは大違いさ!』

hajato

9.09.2015

黒いヴァイオリン その2

1年後・・・

 ミラノに通学の途中に車中で友達としゃべっているさなか”黒いヴァイオリン”で話しが弾みました。
 
考えごとの3上とはよくいったものです。
ひらめきの馬上。

冗談を本気でカタチにするために次の週から制作にかかりました。



 完成はこの半年後。フル黒檀ボディーのヴァイオリンです。


黒檀でできた黒いヴァイオリン
ストラディヴァリの“sun rise“のブラック・スペシャル

 
小生、23才のときに生み出した習作です。



 永石勇人 haja&Chi

9.08.2015

黒いヴァイオリン その1



 それはイタリアに来て1年目に知り合った不思議な友人が教えてくれたことでした。
日本人の彼はイタリア語がすでに堪能で、休憩中にイタリア語でかかれた本を読んでいました。

 『一冊読むとイタリア語かなりレベルアップしますよ』となにげなく言われたので感化された小生は早速、同じ本を買ってよむことになりました。。イタリア語はもちろん難しく。。1ページ一時間のペース。ただ、この黒い表紙が好きで持っているだけで嬉しかったものです。

 イタリア語で”Il violino nero”(イル ヴィオリーノ ネーロ).
Maxence Fermine(マクサンス・フェルミーヌ)の黒いヴァイオリンでです。






 元のLe Violon noir”は日本語訳はありませんが”蜜蜂職は田中 倫郎さんの翻訳ででています

小生もまだ読んではいませんがイタリアでは”Neige”(雪)がよく読まれているようです。

7.23.2015

バロックヴァイオリン 03 ガット弦







ヴァイオリンのガット弦 17世紀末のパターン
G線が銀巻 E、A、Dはアリエス(牡羊)ガット
 バロックヴァイオリンは言うまでもなく、ガット弦が張られていました。

 ガット弦とは羊や牛の腸の皮を絞って乾燥させた紐です。詳しいことはググるとすぐに出てくるとは思いますが、、ようするに天然のものです。



 もちろん金属弦(コアが一本の金属)は16世紀以前より存在しましたが20世紀のはじめまであえてヴァイオリニストたちはガットを選んできました。カザルス、ハイフェッツしかりです・・
 チャイコフスキー、メンデルスゾーン、ドヴォルジャーク、パガニーニ・・クラッシックファンを魅了する19世紀の作曲家はもちろんガット弦を想定して作曲しています。
 音楽家の意図を読み取る大前提にガットの音はあるような気がします。。




 小生のバロック楽器にはもちろんオリジナルにより近いガットを使用しています。
今回のピリオド・ヴァイオリンはイタリアのトーロ(toro)社のものを使用しました
 ここには言うまでもなくオリジナルのイタリア弦づくりが生きているためです。
 厳密には、一部モロッコから仕入れている物もあるようですが・・・
 (モロッコはガット弦の生産で有名。アラブの民族楽器によく使われ、家畜もたくさんいるそうな。。近年イタリア弦のブランド力が再認識され始めたのでヨーロッパのアウトソージング先がイタリアからモロッコなどの国に移っているとのお話。)
 余談ではありますが、アメリカのダッダリオ、ドイツのピラストロも元はイタリアからの移民が立ち上げた会社でルネッサンス、バロック期に栄えた弦メーカーの末裔です。。




 ガット巻き線(コアがガットに金属の巻)はヴァイオリンでG線、ヴィオラで(G)C線、チェロでGC線で使われ、、当時精製可能な重金属、銅と銀が使われました。ニッケルは1751年、タングステンは1783年、アルミニウムは1825年にようやく単離されたようで、これらのレアメタルが弦になるのは150年以上後の事になります。



コントラバスなどの太い弦は牛の腸で作られることがほとんど
この弦一本で30本以上の腸がよられている
これは漂白されていないもの・・・ビーフジャーキーのような匂いもします。


 ニスコーティング、縒り方などの組み合わせで色々なヴァリエーションができますが、一番重要なのは素材の質、つまりどの腸、さらには腸のどの部位を使うかだったようです。動物の種類から産地までまるで今の食品のような選定のしかたです。。均一でなかったためにヴァイオリニストは店に行き一本いっぽん見て選んでいたそうです。あのパガニーニもこだわりをもっていたらしく、4ストランドのe線を大量に注文し取捨していたとのことです。
 
 現在の機械で巻かれ綺麗にパッケージされた均一のスチール弦、シンテティック弦とは大きく違っていた様子です。